アドルフ・レオン・ウィレット Adolphe Léon Willette 1857〜1926

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    アドルフ・ウィレットはフランスの画家・イラストレーター・風刺画家です。ウィレットはベルエポックのパリ、特にモンマルトルの文化を代表する人物の一人ですが、その功績はポスターや風刺画よりもムーラン・ルージュの風車のデザイン、キャバレーシャ・ノワールの看板のデザインなどで知られています。残念ながらウィレットのデザインした風車は1915年の火災で焼失してしまいましたが、シャ・ノワールの看板は残されておりパリのカルナヴァレ美術館で観ることができます。

     

    (シャ・ノワールの看板)

     

    ウィレットはフランスのシャロン=アン=シャンパーニュ出身で、パリのエコール・デ・ボザールでアレクサンドル・カバネルに師事し、1882年にモンマルトルに移り住みます。フランスのユーモア作家・風刺作家として才能を発揮したウィレットは、コメディ、悲劇、日常の些細なこと、政治的な風刺など、様々なモチーフを題材にしました。 ルドルフ・サリやエミール・グドーに誘われ、キャバレー「シャ・ノワール」の初期のメンバーとなったウィレットは、1882年にキャバレー「シャ・ノワール」の機関紙ジャーナル「シャ・ノワール」にピエロ・フュミスト(ふざけたピエロ)を掲載し、作中に登場するウィレットの描いたピエロはウィレットを代表するキャラクターとなります。さらに、シャ・ノワールの看板や内装のデザインも手掛け、特に三日月に乗った黒猫の看板と油絵「パルス・ドミネ」はシャ・ノワールを象徴するものとなります。油彩「パルス・ドミネ」は現在モンマルトル美術館で展示されています。

     

    (パルス・ドミネ 1884年)

     

    この成功を受け1889年には、ムーラン・ルージュの設計を頼まれます。モンマルトルを代表するあの有名な赤い風車はウィレットのデザインで、風車の羽根が回るリズムに合わせ風車の窓から粉ひきの男と女が現れては消える仕掛けがあり、内装はダンサーのための木製の大きなフロアーやオーケストラのため中二階、そして余興やショーのための小さな舞台を設計しました。

     

    ウィレットのデザインした当時のムーラン・ルージュ)

     

     

    (矢印の場所に粉ひきの男女の仕掛けがあります)

     

    その後もクーリエ・フランス誌やル・リール誌などに精力的に作品を発表し1926年に68歳で亡くなります。モンマルトルを代表する人物だったことを表すように、1927年にモンマルトルの新しい広場をウィレットにちなみウィレット広場と命名されました。場所はサクレクール寺院へ向かう急な坂の広場(現在のルイーズ・ミッシェル広場)で、観光スポットとしても人気の場所です。

     

     

    1882年のジャーナル「シャ・ノワール」に掲載されたピエロ・フュミスト(ふざけたピエロ)、このピエロはウィレットの代名詞となり、ロートレックやフランティセック・クプカなどがウィレットを表現するときに描いています。

    ウィレットの描くピエロ

     

     

    ロートレックが描いた、雑誌「ラ・ヴァシュ・アンラジェ」(怒れる牝牛)のポスター。この雑誌はウィレットが創刊した雑誌で、左の自転車にピエロが乗っています。

     

     

    フランティセック・クプカが描いたシャ・ノワールを代表する人物、右のピエロの台座にウィレットの文字が、左の黒猫の台座にはスタンラン、そして左の玉座に座っているのがルドルフ・サリです。

     

     

    ウィレット広場(現在のルイーズ・ミッシェル広場)

     


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