発掘!お宝ガレリア▽ルノアール!ミュシャ!ワケあって展覧会では見られない名作展

昨日、NHK総合「発掘!お宝ガレリア▽ルノアール!ミュシャ!ワケあって展覧会では見られない名作展」が放送されました。

 

再放送が来週15日月曜早朝3:45〜総合テレビ(不定期休止)、および17日水曜11:05〜総合テレビ(関東を除く)に行われますのでぜひご覧ください。

 

ネタバレになるので放送されるまでは黙っていましたが、リボリアンティークスで撮影され、ミュシャや○○○○○○の作品が登場します。

 

番組の前半はルノアール、後半がミュシャとなっており、番組後半のミュシャのワケあって展覧会では見られない名作展のパートでは、ギャラリーでも展示いたしていない作品が!!

また当ギャラリーの一般公開いたしていない部屋も登場します。

 

ぜひテレビでご確認ください!

 

 

http://www4.nhk.or.jp/otakaragalleria/x/2017-05-11/21/2488/2309025/

 


 

アール・ヌーヴォーとジャポニズム【ブログ連載第2回】

このブログ連載はアルフォンス・ミュシャやトゥールーズ・ロートレックを含むアール・ヌーヴォーの有名な作品をポスターや版画を中心に絵と解説で紹介やアール・ヌーヴォーの大まかな歴史やポスター製法の用語(例えばリトグラフとは)などを更新いたします。アール・ヌーヴォーのポスター傑作集の連載第2回目です。

 

連載第2回:アール・ヌーヴォーとジャポニズム

 

アール・ヌーヴォーの成立に影響を与えたのはフランス国内の印象派や象徴主義、イギリスのラファエル前派やアーツ・アンド・クラフツ運動などのヨーロッパ諸国の芸術だけではなく日本の美術・芸術の影響も受けています。むしろアール・ヌーヴォーという言葉は日本の芸術様式「ジャポニズム」なくしては誕生しなかったかもしれません。

 

アール・ヌーヴォーという言葉は新しい芸術という意味で、もともとは芸術運動や芸術様式のことを指す言葉ではありません。しかしこの言葉が共通の芸術運動・様式を指すようになったのには1895年にサミュエル(ジークフリート)・ビングがパリにギャラリー「ラ・メゾン・ドゥ・ラール・ヌ―ヴォー」(La Maison de l'Art Nouveau)を開いたことによります。さらに1900年のパリ万国博覧会でも「ラール・ヌ―ヴォ―・ビング」を出展したことによりアール・ヌーヴォーという言葉は世界的にも一躍有名になり、ヨーロッパだけでなくアメリカ大陸にも広がっていきます。

 

サミュエル・ビングはドイツ人の美術商でフランスに帰化するまではジークフリート・ビングといいました。もともと東洋芸術を専門としており、1888年から1901年にかけて雑誌「芸術の日本」(Le Japon Artistique)を発行していました。ギャラリー「ラ・メゾン・ドゥ・ラール・ヌ―ヴォ」でも日本の美術品などをメインに数多く扱いパリでのジャポニズムブームの立役者となります。その他にも、アメリカのデザイナー、ルイス・カムフォート・ティファニー(18481933)のガラス工芸品やアール・ヌーヴォーのポスター作家ジョルジュ・ド・フール(18681943)の作品なども販売しており、アール・ヌーヴォーの中心地でもありました。

 

日本の美術品の中でもアール・ヌーヴォーに特に影響を与えたのは浮世絵です。この日本独特の木版画は当時のフランスの様々なアーティストに新しい驚きと発見を与えました。なかでも葛飾北斎(17601849)や歌川広重(1797〜1858)の描く風景画の浮世絵はクロード・モネ(18401926)、フィンセント・ファン・ゴッホ(18531890)に、鈴木晴信(1725?〜1770)や喜多川歌麿(1753?〜1806)の美人画はトゥールーズ・ロートレック(18641901)などに影響を与えています。

 

 

西洋に大きな衝撃を与えた葛飾北斎の「神奈川沖浪裏」通称 大波

この富嶽三六景に影響を受けアンリ・リヴィエールは1902年に

エッフェル塔36景(Les 36 vues de la tour Eiffel)を描いています。

 

ジャポニズム

 

日本の芸術やデザイン、特に浮世絵で多用される非対称な構図、誇張された曲線、シンプルなデザイン(背景の省略など)遠近法の違いなどは19世紀のヨーロッパに新しい表現方法として伝わりました。しかし浮世絵がヨーロッパに伝わった経緯は日本の陶器の包み紙としてでした。

1856年にフランスの画家ブラックモンが日本から送られてきた陶器の包み紙に使われていた「北斎漫画」の紙片を発見しマネやドガに見せ、印象派誕生のきっかけになったともいわれています。

 

日本はその後文明開化を迎え西洋との交流がますます活発になり日本の芸術が海外に広く伝わっていき、1878年にパリで開催された万国博覧会では日本の展示が大人気となります。その後1888年にビングが日本を紹介する雑誌や1895年には専門のギャラリー「ラール・ヌーヴォー」をオープンするなど日本の芸術の人気は高まり1900年のパリ万国博覧では五重塔が建設され川上音二郎の公演などもロイ・フラーと共に行われるなど大盛況となりました。しかし20世紀に入りアール・ヌーヴォーが全盛になると日本の芸術様式の流行は終わりを告げ、各国の新しい芸術様式が発達していきます。

 

この19世紀後半に流行した日本の芸術様式をジャポニズムと呼び、アール・ヌーヴォー初期のポスターにはジャポニズムの影響を受けた作品は多くあります、中でも絵入りでカラフルな広告ポスターは浮世絵を参考に作られたともいわれています。

 

 

 

ロートレックはジャポニズムの影響を強く受けた画家の一人。手前と奥の男性を影絵のように描くことで遠近を表現するなど浮世絵手法を取り入れながらもロートレックのオリジナリティーが強く表現されている代表作。

 

 

 

 

 

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リボリアンティークス

東京都港区芝5−29−16

03−3452−8411

「接吻」 1898年 ペーター・ベーレンス

 

 

「接吻」Der Kuss 1898年

ペーター・ベーレンス Peter Behrens

 

画家であり建築家でもあったペーター・ベーレンスの作品。アール・ヌーヴォー独特の植物のような曲線を髪の毛で表現していながら、色数が少なく、背景はシンプルだが髪の毛を複雑に絡み合わせることでデザインを形成しているなど、フランスのアール・ヌーヴォーとはまた違い、ドイツのアール・ヌーヴォーらしい作品。またこの作品はアール・ヌーヴォーでは珍しくリトグラフではなく木版印刷になります。

 

ドイツ語圏のアール・ヌーヴォーをユーゲント・シュティールと呼び、フランスやベルギーのアール・ヌーヴォーとはまた少し違った作風になります。ユーゲント・シュティールには有名なグループがあり、ペーター・ベーレンスに代表されるミュンヘン分離派とクリムトに代表されるウィーン分離派などが代表格となります。

 

作者のペーター・ベーレンスはミュンヘン分離派の画家・デザイナーでしたがのちに建築家に転向しドイツ工作連盟に参加します。ペーター・ベーレンスは建築家としても著名で彼の事務所には世界遺産に作品が登録されたル・コルビュジエやミース・ファン・デル・ローエ、ヴァルター・グロピウスなどが一時期在籍していました。